双子妊娠から出産までの流れ|切迫早産・管理入院・35週の緊急帝王切開(実体験)

妊娠・出産

こんにちは。双子育児に奮闘中の「はづきママ」です。

双子を妊娠すると、健診で言われる言葉がいきなり増えます。膜性、頸管長、NST、羊水、血小板、胎児発育不全…。私はそのたびに不安でいっぱいになって、「無事に出産できるのかな?」と心配して検索の日々でした。

この記事では、私が妊娠に気づいた日(11月)から、切迫早産で25週に救急搬送→約10週間の管理入院→35週に緊急帝王切開で出産するまでの流れを、時系列でまとめます。
細かいテーマは別記事で深掘りしているので、ここは「全体の流れ」として読んでください。

妊娠から出産までのまとめ

  • 11月:妊娠検査薬で陽性。
  • 12月:胎嚢・心拍の確認。つわり本格化で生活が一変。
  • 1月:妊婦健診で双子(DD)発覚。分娩できる病院を探し始める。
  • 2月:安定期に入って少し落ち着く。でも平均より頸管長が短めで、“双子のハイリスク”が少しずつ現実になる。
  • 24週3日:頸管長18mmで自宅安静と言われ、ここから一気に緊張感が上がる。
  • 25週0日:右側の強い張り→頸管長15mm→救急搬送、そのまま管理入院。
  • 25〜35週:NST・エコーが日常。発育差、羊水、血小板の症状と向き合う。
  • 35週0日:NST中に弟の心拍が下がり、当日そのまま緊急帝王切開へ。
  • 産後1か月:NICU・GCUを経て、7/27に兄弟そろって退院。

11月:妊娠に気づいた日(検査薬)

私が最初に「もしかして」と思ったのは、11月の終わりでした。

11/26、妊娠検査薬で薄い陽性。線がうっすら出ているのに、「蒸発線かもしれない」と喜ぶ気持ちを抑えて、ドキドキしながら数日を過ごしました。

11/30、もう一度検査薬を使ったら、今度は判定線が出る前に陽性線が出るくらいはっきり。自己タイミング法での緩い妊活を始めて、初めての陽性だったので、感極まって手が震えました。妊活中は妊娠することしか考えられてなかったので、「母になるんだ…」って現実味が出たと同時に、「ちゃんと育つかな」という不安が一気に来ました。

12月:初受診と、心拍確認

12/1、初めて産婦人科を受診して、胎嚢を確認できました。子宮外妊娠を心配していたので、「妊娠は確かなんだ」と、まずはホッとしました。

ここから出産までは、〇週の壁や出血、お腹の張り、身体の負担など常に心配だらけでしたが、心拍確認までの期間が、私は一番落ち着きませんでした。流産は初期に多いと聞いて、トイレのたびに毎回出血してないか確認していました。

12/15、心拍が確認できて、胎嚢も6㎜超と2週間で成長していました。エコーで心臓がペコペコと動いているのが見えて、心拍音もドクドクドクと聞こえて、「よかった、元気に生きている」と自然に涙が出そうになりました。

12月:つわりで生活が一変(食べられるものが限定される)

12/5(6w1d)、つわりが本格化。私の場合は食べづわり+においづわりで、温かい食べ物が気持ち悪く、炊き立てのごはんがダメになりました。
嗅覚がかなり鋭くなり、油くどそうな匂いが本当に気持ち悪くなるので、料理は全くできなくなりました。お腹の子の栄養のためにと、宅配弁当を契約したのですが、容器のプラスチック臭がダメで食べられず、パパが食べる時は部屋を閉め切って、窓を開けて食べてもらってました。

その代わり、食べられたのが冷たいものジャンクフードで、冷たいうどん、ゼリー、ファーストフードのポテトやハンバーガーなど。今日食べられても、次の日はダメな場合も多かったので、その日その日で食べられるものを探してました。

12/11(7w0d)は、今でも覚えています。空腹で気持ち悪い→気持ち悪くて食べられないのループで終わりがなく、嘔吐恐怖症なので気持ち悪い状態がなくならないことがパニックでした。お米が無理で、うどんを作ったのに、全く味がしなくて食べられない。パパが作ってくれた冷やし茶漬けだけは食べられました。

この日はつらすぎて、つわりが始まって初めて号泣しました。すぐ降りられない電車で気持ち悪くなったらどうしようと恐怖だったので、安定期前ですが、上司にだけ妊娠のことを伝えて、悪阻が落ち着くまで在宅勤務に変えてもらいました。

この時期は、基本ベッドの上で仕事も食事もしていて、ほぼ寝たきり状態でした。午前中は比較的体調が安定してましたが、夜〜深夜は気持ち悪くて眠れない地獄。冬の時期だったので、窓を開けっぱなしにして、冷たい風を部屋に入れると、すっきりした感じで気持ち悪さが落ち着きました。

1月:双子(DD)発覚。帰り道から“病院探し”が始まった

1/5(10w4d)、母子手帳をもらってから初めての妊婦健診。検尿・血圧・採血・子宮頸がん検診をして、エコーになった瞬間です。

先生が画面を見て、いきなり言いました。「えっ!?双子って言ったっけ?」

私はその場で固まりました。嬉しいより先に、「え、私の体、耐えられるの?」が来ました。頭の中が追いつかないまま、先生が胎盤とお部屋を丁寧に確認してくれて、結果はDD(胎盤もお部屋も別々)。「双子の中ではリスクが一番低いタイプ」と言われて、私はそこでやっと息ができました。

出産予定日は変わらず7/29。2人の大きさは10w1dと10w3dくらい。病院を出た瞬間、私はパパに電話して「双子だった」と言いました。パパは一瞬沈黙してから「え、ほんと?」って笑って、私はその声で少し落ち着きました。

でも家に帰ってから、じわじわ来ました。嬉しいのに怖い。2人分の命を守る責任の重さ。私は夜、急に不安で泣いて、「私、ちゃんとできるかな」ってパパに言いました。パパは「一緒にやるしかないでしょ」って言ってくれて、私はその言葉にしがみつきました。

そしてここから、現実的な話が始まります。「どこで産む?」です。私はその夜、パパと一緒に「双子 分娩 病院」「周産期 センター」みたいな言葉で調べました。調べるほどに“普通の妊婦健診の延長じゃない”ことが分かって、私は腹が決まりました。何かあってもすぐ動ける場所を選ぶ。それだけを軸にしよう、って。

1/19(12w4d)の健診では、右の子は週数通り、左の子は少し小さめに見えて、私は早くも「差」が気になり始めました。先生は「誤差もある」と言ってくれたけれど、私はやっぱり心配でした。この頃、採血で血糖が少し高めと言われて再検査の予定も入り、妊娠って“イベントが増える”ものなんだと実感しました。

2月:安定期。でも“双子のハイリスク”が現実になる

2/12(16w0d)、今日から5か月。いわゆる安定期。つわりは落ち着いて、円靱帯痛も少しマシになって、「やっと…」と感じました。

この頃から、私は周産期の大きい病院へ通うようになります。建物の空気や診察の流れの違いだけで「私はハイリスク側なんだ」と実感しました。感染の心配が少なく、先生が丁寧に診てくれる環境に「ここなら何が起きてもお願いできる」と思ったのを覚えています。

内診は正直痛くて、終わるたびにぐったり。でも、エコーで元気な姿が見えると、それだけで「今日も大丈夫だった」と心が落ち着きました。

24週3日:頸管18mmと言われて、生活がまた変わる

24週3日の健診で、2人とも頭位になっていて、私は「男男みたい」と感じました(見た目の印象の話)。右の子が下にいるから第1子、左の子が第2子になる、と説明も受けました。

ただ、この日に言われたのが「頸管長が18mmと短い」ということ。張りの自覚がほぼなくても、数字を聞いた瞬間に一気に緊張感が上がりました。「ついに来たかも」って、身体の底が冷たくなる感じでした。

25週0日:右側の強い張り→頸管15mm→救急搬送

25週0日。お昼過ぎ、寝ていたのに右側で強い張りを感じました。夕方にもまた同じ張りが来て、「迷うけど電話しよう」と病院へ連絡。私は「念のため診てもらう」くらいの感覚だったのに、症状があるうちに受診になりました。

結果は、頸管長15mm。受け入れ週数の都合もあり、周産期の病院へ救急搬送が決まりました。人生で初めてサイレンの救急車。頭は真っ白なのに、体だけがどんどん運ばれていく感覚でした。

張り止めの点滴は搬送前の病院で開始して、そのまま救急車の中でも続きました。動悸、火照り、手の震えがきつくて、「この先どうなるの…」と怖かったです。

搬送先に着いてから最初の半日で、エコー・NST・採血・説明・安静度の指示・頸管の確認などが一気に進みました。私はこの一連を「内診」と呼んでいました。情報量が多すぎて、それだけで疲れ切りました。

この日の詳しい流れは別記事でまとめています。
頸管長15mmと言われて救急搬送になった日|24週3日18mm→25週0日15mm、右側の強い張りから始まった(実体験)

25週〜35週:管理入院の10週間で「日常」になったこと

入院が始まると、時間の流れが変わります。家にいた頃の「今日やりたいこと」じゃなくて、病院の「今日やること」に合わせる生活。私はこの期間、メモしていないと頭が追いつかないくらい、毎日が慌ただしかったです。

NSTが日常になる(そして地味にしんどい)

NSTは、最初は「赤ちゃんが元気か分かる安心の時間」だったのに、回数が増えるほど「今日も無事に終わってほしい時間」になっていきました。仰向けがしんどくて、私はNSTのたびに呼吸が浅くなりがちでした。

入院中の1日の流れや、つらさの逃がし方は既存記事にまとめています。
【DD双子】管理入院はいつから?|25週で入院になった理由と1日の流れ(実体験)

発育差と「胎児発育不全」の説明を受ける

入院が続く中で、私が一番苦しかったのが「2人の差」です。エコーで推定体重を聞くたびに、数字がはっきり分かれていく。私は「じゃあ、弟はどうなるの?」が怖くて、説明を聞きながら手が震える日もありました。

33週頃のエコーでは、右が2125g、左が1360g。左は横ばいで、先生から「胎児発育不全の状態」と説明を受けました。私は「お腹が小さい」という言葉が胸に刺さって、その日は病室で静かに泣きました。

でも、泣いた後に私がやったのは「今日の事実」を整理すること。“今は週数を稼ぐ方針なのか/何が起きたら方針が変わるのか”を、次の診察で聞くためにメモしました。未来の不安を増やすより、今の状況を正確に理解したかったんです。

このテーマは柱記事で深掘りしています。
胎児発育不全(FGR)と言われたら|25〜35週の流れと判断軸(双子DD・実体験)
胎児発育不全と言われたら最初にやること|不安を増やさない情報整理と質問リスト(実体験)

羊水が「ギリギリ」と言われる(単発?継続?を確認する)

34週頃、エコーで右が2317g、左が1370g。左の羊水量は「一旦持ってるから、とりあえずは週数を稼ぐ方針」と説明されました。別の日には「まだ羊水過少症ではない」「2センチはある」と言われて、私はその言葉だけで救われました。

私はここで「羊水が少ない=すぐ危険」と短絡しそうになったので、先生に「単発のブレなのか」「傾向として下がっているのか」を確認するようにしました。不安に飲まれないための質問テンプレは別記事にまとめています。
羊水量がギリギリと言われたら|単発か継続かを確認する質問テンプレ(実体験)

血小板が下がる:麻酔と出血の不安が現実になる

採血で血小板が下がっていって、私は出産が“数字で近づく”のを感じました。入院時は12万台だったのが、10万を切って9万台、さらに後期に8万台と言われた日は、頭の中が真っ白でした。

私はこの時「怖い」って言っていいのか分からなくて、逆に黙ってしまいそうになりました。でも、黙ると不安が増えるだけだったので、私は思い切って先生に「麻酔はどうなる可能性がありますか」「何が基準で変わりますか」を聞きました。具体が分かると、少しだけ落ち着けました。

このテーマは既存記事で詳しく書いています。
妊娠中に血小板が9万台と言われたら|帝王切開の麻酔・出血で確認したこと(実体験)

35週0日:NSTで空気が変わって、緊急帝王切開へ

35週0日。朝9時にエコー、10時前にNST。いつも通りの予定だったのに、NST中に弟の心拍が2〜3回下がって、空気が変わりました。その場で緊急帝王切開が決まり、15時に手術。麻酔は脊髄麻酔で、輸血はありませんでした。

この日のことは当日の記事で詳しく書いています。
【双子妊娠】35週で緊急帝王切開になった理由|NSTの心拍低下で何が起きた?当日の流れ(実体験)

出産後:NICU/GCUを経て、7/27に退院(赤ちゃんの退院)

出産後は、ここまでの不安が「今度は赤ちゃん側の不安」に切り替わっていきます。面会はママとパパだけ。私にできることは、会いに行って、触れて、抱っこして、搾乳して、今日の説明をメモすることでした。

退院までの1か月(6/24〜7/27)は、日付別ログとして別記事にまとめています。
【NICU・GCU】退院まで毎日が激動だった1か月|双子の実体験ログ(6/24〜7/27)

この流れの中で、私が助かった3つのこと

  • “今日の事実”だけをメモする:不安は未来に膨らむので、私は説明を聞いたら「今日分かったこと」だけを書いた。
  • 1日1つのゴールにする:「今日は食べられた」「今日はNSTが無事だった」みたいに小さく区切ると折れにくい。
  • パパと役割を分ける:私は体と感情でいっぱいいっぱいになりやすいので、パパには「説明を一緒に聞いて整理する」をお願いした。

(補足)治療や判断は病院や赤ちゃんの状態で変わります。この記事は私の実体験の流れなので、気になる点は必ず主治医・看護師さんに確認してくださいね。

コメント

タイトルとURLをコピーしました